山野穴太のいまどきナースこぼれ話

2017年12月27日
第119回 ひよこは続くよ、いつまでも(最終回)

さて、寒い日々が続く。突然であるが、今回で最終回にしてもらった。というのも、連載を始めて10年、わが輩も70歳、来年3月で、多分、おそらく、きっと定年である。それ以降は極めて少ない年金で、73匹の猫と終活生活に入る予定である。かみさんと娘のいる東京へ戻るのかと聞かれることもあるが、東京は退職老人が住むには大変なところだ。73匹の猫と住むべき家はないし、買うだけの金もない。現在の住まいは実家に近いし、母もまだ健在なので、「雲青嶺母あるかぎりはわが故郷(福永耕二)」である。この中古の持ち家で、今後もちんたら猫と暮らすつもりだが、少なくとも7割以上の猫がわが輩よりも長く生きるので、この仔らの生活費をなるべく多く残して、ボランティアさん個人や団体などに面倒を見てもらう予定である。
 それにしても、73匹とはねぇ。わが家で生まれた仔はいない。ノラちゃんか、飼い主が入院などで飼えなくなった猫を預かったのであるが、増えた増えた。数が多ければ病気やけがの仔もいるわけで、現在も脳出血で1匹が通院生活をしている。他にエイズ発症前が2匹、猫白血病が1匹である。その他、足の捻挫、風邪などで、常に手がかかる猫が何匹かいる。まあ、これもわが運命(笑)。

 さて、本文。
 わが輩が教えた1期生が卒業して、はや10年以上、みな元気に仕事をしていると思う。若干は教職(まだその道ではヒヨコであるが)に就いている。大小の学会の準備にも携わっているため、それらの不満も耳にする。今回最終回につき、いわゆる学会について、ちょっと雑感を述べてみたい。

 わが輩が教員として某看護大学に在任していたときから、お偉いさん方に口うるさく話していたが、どうか看護系学会を医学系学会の二番煎じにしないでいただきたい。愚考するに、看護系学会は医学系学会の20年前をそのままに歩いている気がする。まあ、医学系学会は歴史も古いし、それなりに学会運営のノウハウもある。さらに海千山千の学会運営会社もついているから、学術大会の運営面では学ぶべきことは多い。しかし、いらんことまで真似しているように思える。

 たとえば、学会理事長を必要以上に権威づけしたり、主導権争い(派閥闘争)をしたり、はたまた、かばん持ちまで従えて……。見ていて、昔の医学部(今でも旧態依然のところもあるが)そのものである。若い衆に「あなた方、しっかり勉強しなさい。そうしたら私のように偉くなれるからね」と言わんばかりの態度や接し方をする御仁もいて、研究ヒヨコのなかには「志をもって研究の道に入ったのに、力士や芸能人の付き人にでもなった気分です」とぼやく者もいる。また、猫なで声でお互いを「先生」と呼びあっているのを見るのは不快であるという(まあ、君らも偉くなったら、そうなるさ……とわが輩は思うが)。看護師でもたとえば教員なら先生と呼ぶのが無難であろうが、「先生と呼ばれるほどの馬鹿でなし」ともいうので注意されたい。役職に就くというのは権限と責任を持つことで、人として偉くなったわけではない。ましてや、看護師の仕事は“人々に寄り添い”人を看ることである。たとえ立場上は偉くなっても、高慢になったり、自分は特別な存在だと勘違いするようにはならないでほしい。

 少なくとも、学会や講演会で、紹介や肩書きに「どこどこ病院看護部長○○先生」はいただけない気がする。しかし教職であれば、それより若く格下であっても、「どこどこ大学准教授△△先生」をよしとするしかないというのも何か引っかかる。よい方法はないものか。いっそのこと、医科系も看護系も学会や講演会では「先生」をやめて、「さん」でもよいような気もするが……。まあ、わが輩ごときが偉そうにいうことでもないので、大上段に構えたわりには尻切れトンボで終わることにします。

 では皆さまご機嫌よう。わが輩はいつもと変わりなく猫と暮らします。
 「今日も干す昨日の色の唐辛子(林 翔)」